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2007/11/15

伝説の終焉

鉄腕・稲尾和久逝去。

稲尾はプロ野球がまだ「豪傑バトル」だった頃の豪傑のひとり。
現役引退が1969年なので、70年生まれの私はもちろんプレーを見たことはない。決して多くはない映像と記録によってしか知ることの出来ないまさに伝説の世代と言えるだろう。(私にとっての稲尾は「ロッテの監督」だった。ちなみに当時のロッテの4番が三冠王・落合。)

記憶に新しいところでは、藤川球児が稲尾の持つシーズン最多登板記録を更新した際に、「先発で完投しまくった稲尾とリリーフで1試合1イニングの藤川とでは重みが違う」という、半ばやっかみのような世間の声に、「記録のための記録ではなく、優勝するために必要だった登板の積み重ね。立派な記録だ」と先頭に立って藤川を誉めたのが当の稲尾だった。

稲尾の伝説はなんと言っても昭和33年の日本シリーズ。

7試合中6試合登板
6試合登板のうち5試合先発
先発3勝、リリーフ1勝の計4勝
リリーフ登板の試合ではサヨナラホームランを放つ

この八面六臂の大活躍で「神様、仏様、稲尾様。救いの神の稲尾様」と言われた。

もちろん、時代が違う。現代においてこんな酷使は(たとえ本人が望んでも)許されるものではないだろう。
結局稲尾は20代半ばで肩を壊してしまったのだし、本人も選手生命を削るような起用は「長い目で見るとチームのためにならない」と述懐していたのも事実。

しかしこれをアナクロと見るか、ロマンと見るか。
私はロマンと見たい。
プロスポーツ選手は豪傑であって欲しい。超人であって欲しい。常識を越えた何かにこそ感動や興奮があるのだから。


稲尾の上記の述懐には実は続きがある。

―もし今、現役の投手として、(肩を壊した)63年と同じようなシチュエーションになったら

「うーん、やっぱり投げるんやろうな。投げてくれと言われれば、投げるやろうなあ…」


温厚で腰の低い紳士として知られた稲尾だが、その魂は紛れもなく「豪傑」そのものだった。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

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