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2007/08/07

夏本番

・・・なのはいいがエアコンが故障して悶絶。文明とは自然の前にかくも無力なのか(苦笑)

ここ半月の間にカール・ゴッチにビル・ウォルシュと伝説の人物が立て続けに鬼籍に入り寂しい限り。私もそういう歳になってきたってことだな。


8月6日は「広島原爆忌」と称するのだとか。
広島で暮らしたことのある人間として、改めて原爆の犠牲となった方々のご冥福を祈る。

とはいえ、いまだに市長が「世界に誇るべき平和憲法」などと言っているようでは平和も核廃絶も夢物語である。
戦後の我が国の平和を担保してきたのは憲法ではなく安保条約である。
広島は原爆の犠牲が大きすぎた。そのために、核のない世界、戦争のない世界を希求するあまり、ともすれば平和念仏に走りがちなきらいがある。心情としては十分に理解できるが、そのあり方には賛同しかねる。
平和を願う気持ちがあればこそ、政治や軍事について学ぶ事が必要だと思う。

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コメント

自由とは、自己の意思の自由である。
自己に意思がなくては、自由にも意味がない。
日本人には、意思がない。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には時制はなく、未来時制もない。

ボランティアとは、自由意思の人である。
我が国の志願で出てくる人とは、どこが違うか。
「ボランティア活動を強制してはいけない」と言ってその普及を反対する人がいることからしても、我が国においては、意思そのものの把握が不十分でることがわかる。

自主・独立 (independent) とは、英米人が子供を褒めていうときの言葉である。
自分が必要とするものは、自分自身の才覚により手に入れるのが大人の態度である。
自分の欲するものを大きな口をあけながら他人にピーピーとねだるのは、雛鳥の態度である。自分がまだ雛鳥の段階であれば、これは仕方のないことである。
独立に必要な軍備を他国にピーピーとねだる国民も子供じみた態度であることに変わりない。自国がまだ未熟な段階であれば、これは仕方のないことである。

意思のない人たちが自由意思の大切さを語ることも難しく、意思決定を行うこともまた難しい。
ともすれば、意思の自由は恣意の自由 (自由のはき違え) と間違えられ、意思決定はどこまでも先送りにされている。

「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という内容であるが、その決意を裏付けるのに十分な自己の力を示すことがないのであれば、その高邁な文言もまた空理空論以外の何ものでもない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2011/01/10 08:50

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